ザーサイ置き場


第二章

 母はKに今日は泊まるように勧めた。Kは最初断ろうとしていたが、母が強く望むので泊まることにしたようだ。部屋は私の隣の部屋。2階の父の部屋だ。母の部屋は1階にある。服は私の服を貸すことになった。私の後に母、母の後にKが風呂に入り、特段面白くもない思い出話を聞かされて今日はもう遅いからと寝ることになった。


 部屋に入り、電気を消して目を瞑るが眠気は来ない。寧ろ興奮しているのか目は冴え切っている。行動するなら今なんじゃないか?Kも母もきっともう寝ている。今なら外の通りも人気がないだろう。私は物音に細心の注意を払いながらゆっくりと起き上がる。呼吸も半分止めて、足音を消して扉に手をかける。音を立てないように慎重に。


 いいか?今音を立てたらきっとKが飛び出してきて母を起こすだろう。自分の部屋の扉は音もなく開いた。よし、いい調子だ。この廊下の床は場所によって派手な音を立てる。気をつけろ。いいか?今この家は全てKの味方なのだ。自分に味方はいない。だが、恐るな。私はこの家に生まれてからずっと住み続けているんだぞ。廊下の軋みも、窓のガタつきも、立て付けの悪い扉もどうやれば音が立たないかなんて熟知している。


 ゆっくりとKのいる部屋を開ける。電気はついていない。どうやら眠っているようだ。小さな寝息が規則正しく聞こえる。その音を聞いていたらだんだんイラついてきた。何故Kは今になって帰ってきたのだろうか。全く理由がわからない。母はKのことが好きだ。愛している。もしもKが母が若いうちに戦場から帰ってきたら、間違いなく母はKと結婚しただろう。私は生まれなかっただろう。きっと母はKが帰ってきて幸せだろう。今の母の顔は恋する乙女の顔だ。父がいれば母はきっと何をするでもなく昔恋をした男と久しぶりに会えた程度にしか思わないだろうが、今は父がいない。もしも私がいなかったら母はKと昔送りたかった時間を取り戻そうとしただろう。いや、私がいても正直怪しい。いつKの胸に飛び込むのかもわからない。そのほうが母の幸せなのだろうか。そんなことはさせない。Kが母を奪う前に、奪う前に。


 静かに息を潜めてKの枕元へ歩み寄る。憎たらしい。この顔が憎たらしくて仕方がない。私と同じくらいかそれよりも若いかくらいの顔はまったく老いを知らない。シワひとつないその顔は母の淡い思い出がまるでつい最近の事だったかのように錯覚させる。Kは戦場に本当に行ったのだろうか。確かにKには片腕がない。しかし、それ以外にこれといった傷が一つも見当たらないのは不自然ではないだろうか。腰を下ろして顔をまじまじと見る。男の顔なんてこんなに近くで見るようなものではないだろう。だけど、私は近くからKの顔を見た。窓から僅かに入る光だけがこの部屋を照らしていた。やけに色の抜けた顔は死んでいるようにも見える。だけど、息はある。妙な感覚だった。まるで、夢を見ているかのような浮遊感とグラグラと沸く興奮が共生しているようだ。


 ゆっくりと手をその青白い首に伸ばす。口元は自然に緩んでいた。母を助ける為なのだ。Kは生きていちゃいけない。彼は大人しく死んでおくべき人間だったのだ。ただ、それだけなのだ。首を掴むと案外細い感覚はじんわりと冷えた手を温めた。びくりと痙攣のような引きつりを起こし、Kの目は開かれた。見開かれた目は私を映し、薄く開いた口は空気を求める。はくはくと動いてまるで金魚みたいだ。骨ばった手が俺の腕を掴んだが、片手なんかじゃ外せるわけがない。体は仰け反り、足が強ばる。まるでSEXをしているみたいだ。興奮は増し、私はKに跨って体重を首に一気にかけた。Kの口の端からよだれが垂れる。キラキラと月光に反射して素直に綺麗だと思う。しかし、Kの抵抗はだんだん小さくなっていってしまいには動かなくなってしまった。


 終わってしまった、と最初に思った。素直に残念だと。その次にどうしようかを考えた。このまま死体を放置しておくのもどうかと思うし、かといってどこに捨てようか。何がともあれ目的は果たせたのだし良しとしよう。これで母は不幸にならずに済むのだ。悪霊にたぶらかさせて……たぶらかされてどうなるのか?まあ、いい。今考えるべきなのはそんなことではない。確か家の裏に使っていない井戸があったはずだ。そこに捨てよう。あそこは蓋をいつも閉めているし、誰かに見つかる心配もないだろう。私はKの布団を剥いで担ぎ上げる。母はKがいなくなって悲しむだろうが、それも少しの間だけだろう。すぐに忘れる。


 Kは案外軽かった。触った感じからして結構筋肉とかはありそうなのに軽い。中身が空っぽなのかもしれない。そうだった、もうKの中身は空っぽだった。もうKは動かないのだ。魂という一番重たいものの尻尾を俺が切ったから風船のようにどこかに飛んでいってしまったのだ。魂は一番軽いから。庭を歩いて家の裏につく。Kの墓がそこにあった。草は周りに生え、朽木が蓋をしている。Kを傍らに一旦置いて朽木をどける。中を覗くと水に月が映るのがうっすら見えた。結構深さがある。万が一生きていたとしても這い上がってくるのは無理だろう。Kをもう一度担いで井戸に落とす。


 


ぼちゃん


 


 さあ、布団に戻ろう。すっかり冷え切ってしまった。朽木の蓋を元に戻して俺は自分の部屋へと足を早めた。